平成時代がまもなく終わりを迎えようとしている2019年4月。MOTHER Partyのリニューアルを受けた最初の読みものはどんな題材が良いだろう…このプレオープン期間中のページ移行作業を行いながらずっと考えてきました。
平成初期から始まり、今日まで駆け抜けたMOTHERシリーズ全体について書くのももちろん良いでしょう。しかしここでは糸井さん、宮本さんに並び、MOTHER、そして今日の任天堂…ゲーム業界の姿までをも変えた、岩田さん…故・岩田聡元任天堂社長について語るのが礼儀ではないか、いやむしろ義務ではないかと思い至ったのです。
岩田さんがいなければHAL研究所は存在せず、MOTHERシリーズは立ち上がることはなく、危機の最中にあったMOTHER2が立ち直ることはなく、MOTHER3発売の瞬間を見届けることは叶わなかった。任天堂が今日に至るイノベーション集団に生まれ変わることもなかった。ゲーム業界全体のハイスペック一辺倒の競争に対してパラダイムシフトが巻き起こることもなかったかもしれない。
今、平成時代を終える今。天国の岩田さんへ感謝の気持ちを伝えます。
今も忘れられない、突然の訃報
2019年 (平成31年) 4月5日、初音ミクをはじめとするいわゆるボカロ作曲者であるバンド・ヒトリエのwowaka (現実逃避P) 氏が31歳の若さで急逝されたという情報が入ってきました。
ヒトリエ wowaka氏 31歳で死去 ボカロ作曲者「現実逃避P」としても活躍
P2y.jp
2007年 (平成19年) 、初音ミクのヒットにより始まったボカロ作曲者の活躍。新進気鋭かつきわめて若い彼らは、この先何十年もの間、日本や世界の音楽シーンの一角となるものと期待されましたが、一方で近年余りにも早く生涯を終える作曲者の方-まだ20、30代という若さで-が少なからずおられるなど、衝撃的な知らせもまた目にするようになりました。
命を懸けてでも。命を賭してでも。命を削ってでも…。たとえ短い生涯であってもその残したものは掛け替えのないものであり、多くの人々の心の中で生き続けるでしょう。
ありふれた人生を 紅く色付ける様な
ボカロ曲「サイハテ」 (作詞・作曲:小林オニキス氏) より
たおやかな恋でした たおやかな恋でした
さよなら
そして、2015年 (平成27年) 7月11日。岩田さんが55の若さで旅立たれたこと。
この知らせに世界中のゲームファンが悲しみのどん底に落とされ、あまりにも早い死という胸が張り裂けそうな事実に涙を流す。これまでのゲーム業界全体における活躍・貢献の数々に任天堂ユーザーかライバル企業関係者かといった細かな大人の事情を問わず、全ての人々から最大限の感謝が贈られた。
「名刺の上では任天堂社長、頭の中では開発者、そして心はゲーマー」
任天堂という世界的企業のトップでありながら自然体で飾らず、ゲームの面白さを多くの人々のもとへ届けるためにニンテンドーダイレクトなどでTwitterを「トゥイッター」と呼んだりするなど道化になることも厭わなかった。そして実際に企業としての業績面でも結果を出し、任天堂をいちゲームメーカーからイノベーション集団へと変えていった。
それら命懸けともいえる岩田さんの姿勢が多くの人々に伝わっていたからこそ、あの突然の訃報は今も忘れられないものではないかと思うのです。
夢のような時間
岩田さんが第4代任天堂社長に就任されたのは2002年 (平成14年) 。
HAL研究所から任天堂に移って僅か2年。故・山内溥第3代任天堂社長から後継者に指名された若き天才プログラマーは平成に名を残す名経営者として開花し、私たちに多くの夢とユーモアをふりまくことになるのです。
当時はMOTHER Partyの前身・アポロ技研上でMOTHER3の開発再開を求める様々な企画が行われていた時期。図らずもMOTHERシリーズに深く携わる岩田さんの任天堂社長就任に「MOTHER3の開発再開にも優位に働くのではないか」という政治的見方もあったことは事実でしょう。
しかし「岩田任天堂」が私たちに見せてくれたものは、そうしたいちゲームシリーズにとどまらない極めて大きなものであったことは、現在に至るまでの任天堂の歩みからも明らかです。
ニンテンドーDSから始まった多くの人々を対象とした新機軸ゲームとプロモーションによる「ゲーム人口拡大」の試みと、それまでの任天堂およびゲーム業界ではあり得なかった出来事の数々。
これらはまさに夢のような時間であり、それは現在のNintendo Switch (ニンテンドースイッチ) へと繋がっています。
次の時代へ託されるもの
任天堂は岩田さんの急逝から体制を立て直すために君島達己氏が第5代社長に就任。岩田さんの遺作となったニンテンドースイッチの立ち上げを成功させるとともに次世代への橋渡しを担い、現在は岩田さんと同じく若い経営者として古川俊太郎第6代社長が集団指導体制の下、任天堂を次の時代へと導こうとしています。
そしてゲーム業界全体でも岩田さんが残したものを継承し、次世代の娯楽の姿を模索する試みが絶え間なく続いています。
夢の続きは今も、確かにここにあるのです。
2009年 (平成21年) 。私、管理者アポロ船長はとある場にて若き任天堂社員の方々と話を交える大変貴重な機会へと招待されました。私などとは比べるまでもない次世代の任天堂を担う優秀な方々であり、その目はやる気に満ちている。その言葉の節々からは「単に大企業において安定した生活を担保しよう」などという保守的な意思は全く窺えませんでした。
彼らが次世代の任天堂を担い、次の時代の娯楽を作り上げる中心的存在となる時。
かつて岩田さんがふりまいた夢はさらに続き、私たちの心に生き続けるでしょう。
ありがとう、岩田さん。