MOTHER3百科(マザー3百科) 「MOTHER3百科(マザー3百科)」企画は、MOTHER3の冒険ガイドブックを
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 ALL ABOUT MOTHER3  2006/09/03 更新
 COLUMN 1  紛う事無き「最高傑作」として…
世に出た事…それだけで十分奇跡
『MOTHER3』が発売された。

この一言を言えるまで、ファンの皆さんは、12年間、頑張ってきた。
言葉そのものより、「発売された」という「事実」そのもののほうが、遥かに、重い。
だからこそ、いまも、そんな簡単に、この「事実」を忘れてしまうファンの皆さんは、いない。
それだけ、素晴らしく、尊いことであるからだ。

2000年8月22日。
『MOTHER3』を待ち望んできた、全ての皆さんにとって、決して忘れることのない日。
『MOTHER3 豚王の最期』開発中止。
この「事実」だけが、残酷に響き渡る。

この日、全てのMOTHER系任天堂ファンサイトは、
二度と有り得ない、体験することの出来ないだろう、言葉を失う凄惨な悲しみに包まれた。
まさに、悲劇。
あの光景は、今も、そしてこれからも、決して忘れることはないと、強く思った。

あれから、6年。
すでに私は、『MOTHER3』そのものの物語はもとより、
2006年4月20日という、この瞬間まで、私達が歩んできた「物語」そのものも、
『MOTHER3』なんだ、ということに、全く疑いの念を抱かない。

これまで、全ての『MOTHER3』の発売を望まれる皆さんが、
この瞬間を迎えるために、命を削る思いで、最大限の力を尽くしてきた。

『MOTHER3』を任天堂のゲーム機にセットして、電源を入れることを夢見て、
亡くなられてしまった…というファンの方々がいることも、知っている。
私達には今も、空高くから、見守ってくれるファンの方々がいる。
そのことを、決して忘れる事は出来ないし、忘れてはならないと、強く思う。

それだけ、『MOTHER3』が世に出た、という「事実」は、果てしなく、重い。

私達が『MOTHER3』を手にするまで、多くの、苦しくも奇跡の「物語」を経てきたことを、
これからも、決して忘れる事はないだろうと、迷うことなく、そう思うし、
『MOTHER3』について、涙がちぎれるような、心無い小手先の評価を浴びせられたとしても、
これまで私達が乗り越えてきた「物語」を思い出せば、
決して、それらに挫けず、逆に笑ってやり過ごしてしまえそうな、
気の利いた返答を返すことが出来そうな、そんな気がしてくる。

多くのファンの皆さんは、この12年間にわたる「物語」の証人達。
それを踏まえた上で、『MOTHER3』をプレイされ、
深く、考察し、感想を述べ、皆さんと楽しく語らい合う。

週刊ファミ通で、MOTHERシリーズで初めてプラチナ殿堂入りした、とか、
ある芸能人や、著名人が、その方面に配慮したかのような感想を掲載したり、とか、
一部から、心が張り裂けそうな、大声による結論ありきの断定が向かってきても、
12年間の「物語」を乗り越えた、ファンの皆さんは、
すでに、それら「外的評価」「批評ありき」の誘惑に屈しない「強さ」を、
自然に身につけている。

だからこそ、歴史的発売日の後も、ほぼ全てのファンの皆さんが、
『MOTHER3』の物語を、率直に、高く評価され、
自らの口で、その魅力と、評価を、責任ある意思表明として、語っているのだ。


逃げなかった、糸井さんの「本気」
発売されたことだけでも、十分過ぎるほどの『MOTHER3』。
しかし、糸井さんも、だからこそ、逃げなかった。

私は、『MOTHER3』の物語を、このような形に仕上げた糸井さんに対して、
割れんばかりの拍手を送りたいと、心からそう、思っている。

これは、「それぞれの『MOTHER3』」ということになるので、
あくまで個人的感想という範囲にとどめて書きたい。

『MOTHER3』より前のMOTHERシリーズは、
キャラクターが死亡しないということが、特徴の1つとして言われていた。
しかし、私はそのことは、あまり重要だとは認識していなかったし、
悪い言い方をしてしまえば、プレイしていて特別深く感じなかった要素だった。

それは、前作のフライングマンしかり、トンチキさんしかり、
結果的に、キャラクターが死亡(またはそれを匂わせている)しているからだと思う。

私はMOTHERシリーズは、最重要も脇役もなく、キャラクターは皆主人公だと思っている。
『MOTHER3』も、ヒモヘビしかり、マジプシーしかり、カエルしかり、
ファンの皆さんにとっては「主人公」級だと捉える、魅力的キャラクターが多い。
最重要も、脇役もなく、ファンの皆さん一人一人に、主人公がいるのだ。

だから、『MOTHER3』より前のMOTHERシリーズを「キャラクターが死なない」と言うのは、
あまりにも美化しすぎている話だと、内心ずっと思っていた。
わが国は「内心の自由」が認められているし、現に本音をさらけ出せるコミュニティもある。
現実には、MOTHERシリーズの魅力を「綺麗事」だと鼻で笑う人だって、いると思う。
(戦闘でも、「死亡」ではなく「おとなしくなった」「消え去った」と出ても、
 プレイしている側には「言葉の彩」の問題に過ぎず、結果的に「ドラクエ」「FF」と同様、
 「敵を殺した」と解釈している人だって、現実的には、いると思う。)

こうした、ある種MOTHERファンとしては
「不純」かもしれないことを思い浮かべてしまうのは、
私が、MOTHERシリーズのみのゲームファンじゃないことも、また大きいと思う。
MOTHERシリーズと並んで、スターフォックスシリーズは大好きだし(腕は悪いけれど)、
スマブラはNINTENDO64版をやり込んだ(相変わらず腕は悪いけれど)ほどだ。
特にスターフォックスには、MOTHERシリーズよりずっと時間をつぎ込んでいたかもしれない。

ファンだからこそ、それだけに熱中せず、様々なタイトルを好きになって、見識を広め、
それを、MOTHERシリーズの見方にもフィードバックしたいという思いはあるけれども、
そんな堅苦しいことは抜きにして、そうしたクールダウンが出来たからこそ、
『MOTHER3』復活に向けても、突っ走っていけたんだと思う。

『MOTHER3』の物語が、『MOTHER3 豚王の最期』とほぼ同じだと分かると、
当時のゲーム雑誌で読み倒し、頭に叩き込んでいた
『MOTHER3 豚王の最期』の記憶が、すぐ戻ってきた。

「ファンの皆さんを確実に裏切る、泣かせきるシナリオになる。」
「一度ファンの皆さんを殴ってから、仲直りしたい。」
「ドラゴが出てくる場面は『バカ〜!』って思うくらい。」
「いい話と悪い話がある。どっちを先に聞きたい?」

ファンを殴るくらいの、泣かせきるシナリオ?いい話と悪い話?ドラゴの登場場面とは!?
この糸井さんのインタビューと、キャラクターの台詞は、
当時も、わくわくして目を通していた。

だから、2006年4月20日も、
大学受験で全てを出し切り、悔いが無いのと同じような気持ちだった。
実を言えば、『MOTHER3』自体のゲーム内容は、
どんな内容でも、全て「許す!」という思いだった。
本当に、『MOTHER3』と見せかけて『バイオハザード』でした、とか、
電源を入れたら、糸井さんから私達に向けたメッセージが出てきて終わり、とか、
ボタン操作が全く効かず、攻略できない、
…なんてものでも、「出てくれただけで問題なし、全て許す!」という思いだった。

それから数時間後、私は何故、糸井さんがずっと、
ヒナワの存在を明かさなかったか…という理由を、早くも知ることになった。

さあ何でもかかって来い!という思いで電源を入れて、不意打ちをくらうとは!
この展開に、非常に痛快なものを感じた一方、
これまでゲームをプレイした中で、初めて涙をこぼした。
凄いと思った。糸井さんの「本気」に、初めて少しだけ触れた感じがした。

糸井さんは、ファンの皆さんの復活希望に、応えてくれた。
だからこそ、生半可な「前作の焼き直し」に、逃げるのではなく、
『MOTHER3 豚王の最期』で見せたかった、
本当の『MOTHER3』を、今回、しっかり作り上げてくれたのだと、私は思う。

だが、もしもの場合、一部の心無い方々が、怒りのあまり、
『MOTHER3』と糸井さん、任天堂を一方的に罵倒するような、
とてもとても、悲しい出来事が、起きてしまう危険もあっただろう。
私も、『スターフォックス64』から、8年待ち続けた『スターフォックス アサルト』で、
『MOTHER3』の涙とは、全く異なる感情の、涙を流している。
だから、イザ裏切られた立場の気持ちは、痛いほど分かるし、
感情が抑えきれなくなることだって、人間なら、当たり前のことだ。

しかし、糸井さんは、私達ファンの皆さんを「信じた」!
そして、ファンの皆さんを信じて、
『MOTHER3』で本当に見せたかった「本気」を見せるという、
とても、とても重い「決断」をして、今回の『MOTHER3』を作り上げた!

これを感じ取った時点で、私の「『MOTHER3』の気持ち。」も、一定の方向に、固まった。

このように、糸井さんは、私達の思いに、最大限の形で応えてくれた。
だからこそ、私は、
今回『MOTHER3』を作り上げた糸井さんに、割れんばかりの拍手を送りたいのだ。


10年後の「名作」へ
そして、ファンの皆さんも、この糸井さんの「本気」を、しっかり受け取ってくれた。

単に「キャラクターの死」や、「前作と異なる要素」そのものを拡大し、
その内側にある、糸井さんの「本気」と「真意」を矮小化した結論ありきの批評はなく、
ファンの皆さんは、その裏側にある、糸井さんの「本気」と「真意」を読み取ろうと、
『MOTHER3』について、活発な議論を展開している。

『MOTHER』『MOTHER2』が発売された当時も、
こうした、活発な議論が、当時のファンの皆さんの間で行われていたんだと思う。
その思いは、現在の『MOTHER』『MOTHER2』の評価に、繋がっている。

『MOTHER3』は、紛う事なきMOTHERシリーズ最終作として、「最高傑作」だ。
今、ファンの皆さんの間で展開されている、活発な『MOTHER3』議論は、
次第に「思い出」となり、10年後の、「名作」評価に、必ず、繋がっていく。

『MOTHER3』の、本当の物語は、まだまだ始まったばかりだ。

(このコラムの執筆は、アポロ船長が担当しました。)



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