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ALL ABOUT MOTHER3
2007/09/26 更新
COLUMN 5
キャラクター考察「D.C.M.C.」編 |
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俺達がここにいるということ。
DCMCというグループは、私たちが思っている以上に
MOTHER3のストーリーに関わっているんじゃないか、と、私は思うのです。
ストーリーと言っても、それはリュカ達「家族」のお話ではない、また別のお話。
MOTHER3というゲームの全体を考える上で忘れてはならない、
中心にあるものでありながら、どうも蔑ろにされがちなような…そんなお話。
それは造られた楽園「タツマイリ村」のストーリーです。
1タツマイリ村の人々は皆、元の「世界」の記憶を「捨て」、
新たに作った「役」として生活しています。
つまり、タツマイリ村の人々の「今」の「人格」だとか
「自分」だとかいうものは全て、「作り物」だということです。
ここで大切なのが「作り物」=「偽物」では無いこと。
そしてこれを表しているストーリーこそが、
DCMCこと『デスぺラード・クラッシュ・マンボ・カンボ』のストーリーなのです。
皆さんももうご存じのように、DCMCのベースの『タメキチ』は、
我らが正義のドロボー『ダスター』です。
記憶を無くしたダスターがDCMCのメンバーになり、
そこでの新しい「自分」がタメキチなのですが、この関係、何かに似ているように感じられます。
そう、「世界」の記憶を消し「作り物」の記憶と取り換えたタツマイリの人々に。
タメキチはいわゆる「作り物」の人格とは少々異なりますが、
ダスターという「過去」を消し去っての人格という点では共通しています。
そして第4章後半で、ダスターの事を聞いたタメキチはこう言います。
◆ダスター?
◆たしかに おれは ほんとうの じぶんのなまえは
しらないけれど もう なんねんも タメキチとして いきてるんだ。
そしてこう語ります。
◆・・・でも おれは ほんとうに ダスターなのか?
◆もし おれが その ダスターだったら
おれは いま バンドのメンバーと わかれなけりゃ ならない・・・
そういうことなのか?
◆ダスターか タメキチの どちらかが きょう いま いなくなる・・・
そういうことなのか?!
◆おれが ダスターだったら DCMCは どうなる?
◆おれが タメキチのまま いきていくとしたら
あのタマゴは いったいなんだったんだ?
◆どうすれば いい?!
確かにプレイヤーは、タメキチの正体がダスターであることを知っています。
それは紛れもない真実です。
しかし、タメキチが言うように、この3年の間、彼は紛れも無く「タメキチ」であったのです。
タメキチは確かに存在する「自分」なのです。
「作り物(のようなもの)」でありながら現実に確実に存在する「自分」。
「じゃあ今の自分って何なんだ?」という疑問が頭に浮かぶことだと思います。
ダスターであることを選んだ彼に次にこの疑問が浮かぶのはリダの話を聞いた時でしょう。
いや、この時には彼だけでなくパーティ全員でしょうが。
何せ、選び取ったダスターとしての自分すら、
過去を消した上になり替わる「作り物」であることを思い知るのですから。
確固たる「自分」は「自分」じゃない。
「タメキチ」を捨てた意味は?俺達は何のためにここまで来たのか?
その答えをくれるのが、他でも無いDCMCのメンバー達です。
DCMCのメンバー達にも、昔の記憶はありません。
おそらくは皆ポーキーによって連れて来られたのでしょう。
もしかすると全員別の時間・場所から連れて来られたのかもしれません。
つまりDCMCメンバーの経歴もタメキチ、更にはタツマイリの人々と似ている訳です。
それなのに彼等は第8章にて、「ダスター」として生きていくことを決めた、
今は存在しないはずの「タメキチ」の存在を認めているのです。
彼等は「タメキチ」が「ダスター」を選んだことを当然ですが知っています。
「ボンボヤージュ・アミーゴ」で送り出したのですから。
それなら何故、ここに「タメキチ」がいるのでしょうか。
きっと答えは単純明快、「ここにいる」からなのでしょう。
DCMCの「タメキチ」は確かに存在した、
たとえそれが一時凌ぎの「作り物」であろうが、「ダスター」という「本物」があろうが関係無い。
そこに存在した以上、「タメキチ」も、「自分達」も確かな「本物」なんだ。
そんな力強い「存在の肯定」が、あの他愛無い会話の裏に隠れているような気がします。
もちろんこれは本当は「作り物」だった「ダスター」達にも当てはまります。
「本物」が一つだけなんて誰が決めた?
「ダスター」は俺、「タメキチ」も俺、ダスターの前も俺、それでいいじゃないか。
OJだって、マジックだって、シミーだって、バッチーだって、クマトラだって、
皆みんな、確かな本物なんだ。
「作り物」=「偽物」では無く、「存在」=「本物」。
DCMC最後のライブは「DCMCというグループ」が確かに存在した証。
ノーウェアという島が、タツマイリという村が存在した証。
そして、確かに俺達がそこにいた証。
「作り物」である「人格」の存在の肯定。
それが彼等DCMCのMOTHER3というお話の中での役割。
そう考えてみると、何だか熱くて、そしてロマンチックではありませんか?
(このコラムの執筆は、八音天夏さんが担当しました。)
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