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MOTHER・スマブラ情報 |
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社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』連載スタート
2008年1月22日 16:25
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任天堂はスマブラXこと『大乱闘スマッシュブラザーズX』について
任天堂の岩田社長がソラの桜井政博さんに訊ねる対談
「社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』」の連載をWii.comで開始しました。
今日公開されたのは「Vol.1 はじまりは2005年のE3」です。
なお今回の「社長が訊く」も、ほぼ日ことの永田氏が構成を行っています。
先ず最初に、岩田社長は『スマブラX』が延期となったことについて、
「ソフト完成が予定期日から遅れ、発売日を守るべくあらゆる手を尽くしましたが、
お約束した発売日を守ることができませんでした。
楽しみにお待ちいただいているお客様、ならびに販売店のみなさまに、
大変ご迷惑をおかけすることとなり、心よりお詫び申し上げます。」
とし、苦肉の延期だったとしてお詫びを申し上げています。
桜井さんにとって、岩田社長はHAL研究所時代の「上司」。
つまり岩田社長がHAL研究所社長だった時の部下が桜井さんということで、
この対談は「(HAL研究所)元社長が訊く」ということにもなります。
桜井さんがHAL研究所に入社したのは、19歳の時。
そのときの最初の上司が岩田社長だったとのこと。
そして二人で『スマブラ』のプロトタイプを作ることになったとのことです。
桜井さんも寝耳に水だった「新作『スマブラ』発表」の真相
そして今回の『スマブラX』が始まった、2005年の「E3」。
この世界最大のゲーム見本市の場で、
後にWiiとなる「レボリューション」の発表が行われました。
ここでレボリューションの筐体とWi-Fiへの対応が発表されたのですが、
岩田社長によれば、事前に任天堂が多くの方を相手に行った
「ネットワーク化してほしい任天堂のゲームは何ですか?」
というアンケートの中で、『スマブラ』という回答が多かったこと、
任天堂米国法人のE3関係者が全員揃って
「スマブラをWi-Fi対応タイトルとして発表したい」という強い希望を持っていた一方、
『スマブラ』の権利を任天堂と共有するHAL研究所との調整ついていないことから、
会場では、「Wi-Fiのタイトルとしてスマブラが作られるようにプッシュしている」
という表現を使ったものの、その会場にいた日本の人達は
これを「任天堂がスマブラを発表した」と認識してしまったとのこと。
これが後に「桜井さんに知らされないまま岩田社長がスマブラの新作を発表した」
という論調となって一人歩きしてしまいましたが、
もちろん桜井さんにとっても寝耳に水だったとのことで、
会場で『スマブラ』の新作を作るのかと聞かれ大変だったとのことです。
そして岩田社長がショウの会期中に泊まっていたホテルの部屋に桜井さんを呼び、
自分がやりたいことについて桜井さんに喋ったところから、
初めて『スマブラX』に向けて、一からスタートということになったとのこと。
これは本当に、何も決まっていないという状況だったとのことです。
なお岩田社長は桜井さんに断られた時のことも考えていたようで、
その時は「『スマブラDX』のWi-Fi対応版」を考えていたとのこと。
ただこれは捉え方によっては桜井さん曰く「立派な脅し」とのことで…。
桜井さんがフリーのゲームデザイナーとして今後を決めていこうとした矢先、
寝耳に水の形で再びめぐり合った『スマブラ』への道。
別の仕事依頼が入っていた関係などもあり、悩んだものの、
「新しい『スマブラ』を作る以外に人に喜んでもらうということは出来ない」
という結論に達し、『スマブラX』の制作を受けることにしたとのことです。
都内某所は高田馬場、開発にはゲームアーツが参加
このような形で始まった『スマブラX』の制作。
これまで数多くの『スマブラX』情報を追い続けてきた皆さんなら
もはや一つ一つを取り挙げるまでもないところですが、
その開発チームは、とても特殊な成り行きとなったとのことです。
桜井さんによれば京都の任天堂本社で作る案もあったものの、
色々話し合った結果、東京で作る必要性があるということで、
東京の高田馬場にオフィスを構えることになったとのことです。
これまで隠されてきた東京の「某所」とは、高田馬場だったのですね。
ちなみに桜井さんも、このために高田馬場に引越しをしたそうです。
『スマブラ』に懸ける、桜井さんの想いを強く感じ取れるところです。
そして、これも今回が初となる新しい情報です。
今回の『スマブラX』には、ゲームアーツが参加していることが分かりました。
プレステ2ソフト『グランディア3』の開発が終わったばかりの
開発会社・ゲームアーツの皆さんに初期のメインをお願いし、
足りないスタッフを『スマブラX』のために募集するという形になったそうです。
岩田社長によれば、一つのゲームのために
人材募集をかけるというのはかなり特殊な話とのこと。
一方そうした特殊な仕事ゆえ、特別な信頼関係が出来たとのことで、
今回集まった方々もゲームアーツの皆さん含め、非常にレベルが高かったそうです。
最終的なスタッフの数は、おおよそ100人。フルタイムで100人。
監修者や外注スタッフも合わせれば、スタッフロールだけで700人!!
まさに「大作」という言葉が相応しいことが、この人数からも伝わってくるようです。
岩田社長が桜井さんの実力に見た“勝算”
そんな一体感から結果的に完成をみた『スマブラX』ですが、
岩田社長によれば、こうした手法による商品開発はどんな時にも使えるわけではなく、
今回そうした方法が取り得たのは、桜井政博という人が
「完成イメージが早くから頭の中にできている人」であることを高く評価し、
桜井さんならば、こうした方法でも必ずうまくいくという“勝算”があったからこそ、
今回の開発体制にゴーサインを出せたことを明かされています。
「若き天才クリエイター」と多くの方々から“称賛”される桜井さんの実力に、
岩田社長が“勝算”を確信した…本当に、深いエピソードです。
そしてだからこそ、桜井さんにこの重いプレッシャーを課す、
「桜井さんの元上司」かつ「任天堂のトップ」としての、
岩田社長の手腕と決断もまた、確かなものであったといえるでしょう。
自分がイメージしたものと100%同じものが作れることは絶対ないものの、
この開発体制の中では、大変な苦労がありつつも、それを成し遂げた。
そして次回は「『スマブラX』を作るうえで最初に考えたこと」の話に続いていきます。
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